毎月数百億円が回り続けた「循環取引」―古典的不正が巨大企業で起きる理由
ある大手通信グループにおいて、子会社とその関連会社を舞台に、最大約2,460億円の売上が過大計上されていた可能性が明らかになった。営業利益への影響は最大約500億円。そのうち約330億円が外部へ流出した可能性もあるという。
今回の手口は、決して複雑な金融工学を駆使したものではない。「循環取引」と呼ばれる、古典的な不正である。
架空の広告案件をでっち上げ、広告代理店A社から関連会社へ、さらにグループ子会社へ、そして別の広告代理店B社へと資金を流し、最終的には再びA社へ戻す。実際に広告が掲載されることはなく、成果物も存在しない。しかし、帳簿上はそれぞれの段階で「売上」と「費用」が計上される。取引は存在したことになる。
イメージとしては、四人の友人が一万円札を順番に回しながら、その都度「手数料」と称して千円ずつ抜いていくようなものだ。一万円札は回るたびに目減りしていくが、そのたびに帳簿上は取引が成立したことになる。実体は伴わないが、数字だけは積み上がる。
しかも、直近では毎月数百億円規模の資金がこの循環の中を流れていたという。そのスケールは驚異的であり、もはや一部門の逸脱では説明できない。
循環取引は古典的であるがゆえに、見抜くことが不可能な手口ではない。実体のない売上計上、回収されない売掛金、取引先の集中、同一資金の短期間での往復――いずれも監査実務では典型的なリスク指標である。にもかかわらず、これほどの規模で長期間継続した背景には、組織的な統制の緩みがあったと考えざるを得ない。
持株会社体制のもとで子会社に一定の裁量を与えることは合理的だが、裁量と監督は常に対になっていなければならない。売上が拡大し、業績が順調に見えるときほど、疑念は生まれにくい。むしろ好調な数字は歓迎され、精査は後回しにされがちである。そこに業績目標達成へのプレッシャーが加われば、「いずれ精算できる」「一時的な調整だ」という自己正当化が働く余地が生まれる。
不正のトライアングルでいえば、動機は業績圧力、機会は複雑なグループ間取引と監視の隙間、正当化は短期的合理化である。これらが揃ったとき、古典的な手口であっても、巨大企業の内部で温存される。
さらに重大なのは、約330億円が外部に流出した可能性である。循環の過程で抜き取られた「手数料」に相当する資金が実体的損失として残るのであれば、それは単なる会計修正では済まない。資金管理、承認プロセス、関連当事者取引の監視体制にまで問題は及ぶ。
公共性の高い企業において、売上2,460億円の過大計上は財務上の問題にとどまらない。それは統治の信頼性を揺るがす出来事である。数字は後から修正できる。しかし、なぜ毎月数百億円もの資金が“ぐるぐる”回る状態を止められなかったのかという問いは残る。
循環取引は新しい不正ではない。だからこそ恐ろしい。最先端の技術を持つ企業であっても、統治の基礎が揺らげば、手口は驚くほど単純でよい。複雑なのはスキームではなく、それを許してしまう組織の構造なのである。
ガバナンスとは、巧妙な不正を見抜く力だけではない。あまりに単純な異変に、どれだけ早く気づけるかという力でもある。今回の事案は、その原点を改めて問いかけている。